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日記 / 映画にとっての救い。濱口竜介「ドライブ・マイ・カー」について極私的な二、三の記憶

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※画像は「ドライブ・マイ・カー」公式サイトより



エンドロールが終わり、5分くらい呆然とする。気を取り直し、劇場の周囲を見渡す。誰か知っている顔はないだろうか。今すぐ、僕はこの映画について誰かと語りたいのだ。

映画が終幕後、こんな振る舞いをしたことは、何年ぶりだろうか。



ユーロスペース、アテネフランセ、日仏学院、シネマヴェーラ…

大学生のとき、日参していた映画館は、上映後周囲を見渡すと、ほぼ確実に誰か知り合いがいた。そこで出会った友人と、あるときは喫煙所で煙草を片手に、またあるときは近くのカフェでコーヒーを飲みながら、観た映画について語ることが好きだった。

濱口竜介の新作「ドライブ・マイ・カー」は、私たちを突如10年以上前の大学生のときに連れ戻してしまうような映画だった。



TOHOシネマズ日比谷には残念ながら、誰も見知った顔をおらず、しかし、上映終了から5分経ってもまだ席を立とうとしない、幾人かの一人客もまた、誰かと話したい衝動に駆られているように見えた。勝手な共感をした上で、すっかり大人になった僕は、見知らぬ観客に話しかけたりはしない。

代わりに、メッセンジャーで「ドライブ・マイ・カーやばかったねえええ」と友人に送り、周りに知り合いいないか探しちゃったよ、というと、友人は「日本ユーロスペース化計画だ」と言った。日比谷の街で声をあげて笑った。

そう日比谷。
驚くことに、この映画がTohoシネマズ日比谷のスクリーン12でかかってしまった、という事実だ。それも、500席もの巨大スクリーンで。

なんせ3時間の上映時間だ。


179分という上映時間は、濱口竜介を知っている人にとっては長い、というわけではない。
彼のフィルモグラフィーでは、いずれも僕のオールタイムベストに間違いなく入るハッピーアワー(317分)、親密さ(255分)、といった作品からすれば3時間、まだ短い方だね、とすら思うかもしれない。(ハッピーアワーでは途中トイレ休憩が3回も入った)



しかし、一般の商業映画にとって3時間という尺は極めて長い。青山真治のEUREKA以来くらいではないだろうか。ノーランのインターステラーですら169分。

今世紀最高のアニメ映画である「映画大好きポンポさん」の中で、ポンポさんは言う。


映画は90分が理想だ、許せても120分が限界、と(そして、ポンポさん劇場版は90分justで終わってみせる!)

これに私も強く同調する。映画は90分が理想なのだ。一般的に映画オタクといわれる僕ですらそう思う。

個人として90分の大学の授業すらほとんど我慢できなかったという記憶はおいたとしても、かつて、わずか1年強とはいえ、映画の配給や宣伝の仕事をした僕も、3時間と言う尺の重たさは十分に感じている。



まず、上映回数の問題がある。例えば同時期に上映されていた、ジブリ映画の新作である「アーヤと魔女」(82分)と「ドライブ・マイ・カー」の1日あたりの上映回数を比べてみると、前者が6回に対し、後者が3回だ。

箱物である映画商売において、いかに回数を回せるかは売り上げに直結する。当たり前だが、上映時間が2倍になろうとも、1人あたりの料金は2倍になったりしない。単純に計算すると、上映時間が短く、上映回数がを2倍にできれば、2倍の売上になるのだ。



また、179分という上映時間を見て、劇場に足を運ぶことを躊躇する人は決して少なくないだろう。僕だって何度も躊躇したし、(いまだから暴露できる話だが)いまだにソクーロフもタルコフスキーもアンゲロプロスも王兵も一部作品を除いてほとんど見ていない。


では、それだけの客数が集められる映画なのだろうか。

濱口竜介や西島秀俊という映画オタクであれば当然に知っている固有名詞は、だが世間にはまだ誰も知らない、と言った方が近いだろう。

最も有名な岡田将生ですら、しかし、その名を聞いたら駆けつける、という観客は決して多くないように思える。カンヌ映画祭で脚本賞ほか4部門を受賞したという情報ですら、客層を拡大するにそこまで資するとも思えない。


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※画像は「ドライブ・マイ・カー」公式サイトより



TOHOシネマズを運営する東宝において、どんな意思決定プロセスがあったのだろうか。
僕の知っている東宝はこのような意思決定をする企業ではなかった。

東宝、それはかつて私が大学生のときに憧れた企業だった。

大学3年生になって就活を意識したとき、将来のやりたいことなんて、映画業界しか考えられなかった。中学生のときに、映画の魅力に取り憑かれてから、冗談じゃなく、映画は僕を救ってくれた。

だから映画業界にOB訪問を重ねていたとき、東宝で働く当時部長職の方にお会いする機会があった。ただ、僕は映画への愛を伝えた。どれだけの映画を見てきたか、なぜ僕が東宝で働きたいかを熱意を持ってプレゼンした。



優しくうなずきながら、僕の話を黙って聞いていた彼は、しかし、答える。言葉を選んだことが、一瞬見せた表情からもわかる。


君はうちに来るべきではない。
学生時代の自分を見ているようだ。
君は、セカチュー(※当時大流行していた「世界の中心で愛を叫ぶ」)が好きか?


うちはセカチューが好きな人が幸せになれる会社なんだ。
君はうちに来ても幸せになれないよ。



「..わかりました」
僕は、片思いをしていた企業に、受ける前に振られた。結局、東宝にエントリーシートは提出しなかった。この方に会えてよかったと思った。



あれから15年がたった今、「ドライブ・マイ・カー」がTOHOシネマズで、しかも、おそらく日本で一番入る映画館のひとつである日比谷のスクリーン12でかかったのだ。

当時話しを聞いたあの方が、定年前、最後にやった仕事かな、と一瞬思った。それくらい僕には想像つかない意思決定に思えた。



YouTubeやInstagramのストーリーズで、動画が、すっかり短い尺に慣れていってしまった現代。「サマーフィルムにのって」で、タイムマシンにのってあらわれた未来人が語る未来の映画は4-5分の尺だと言う。そして、「映画は失われた」と表現する。


僕にとって、ディストピアの極みとは、伊藤計劃でもオーウェルでもオルダス・ハクスリーでも、ディックの描く世界でもない。ただ映画が失われる未来だ。そんな未来が来るのなら死んだ方がマシ、と心底思っている。



映画が「コンテンツ」と呼ばれ、ただ本数を競うためだけに、台詞のないシーンの早送りや1.5倍速再生が平気で行われている。ディストピアはこの延長線上にある。

人が映画に許容できる時間がどんどん短くなっているこんな時代に、「ドライブ・マイ・カー」がこの規模で上映され、あちこちで満席になっている、この事実は映画にとって救いなのだ。



▼ドライブ・マイ・カーは全国の映画館で上映中!
「ドライブ・マイ・カー」公式サイト



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