この記事をシェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存

日記/週末・友人たちの頑張りにばかり刺激を受ける

週末。土曜日の朝から本屋。雑誌コーナーで立ち読み。
大学時代からの友人2人が、「GINZA」と「ポパイ」に連載をしていて、あらためてこれは結構凄いことなんじゃないかと思った。

僕はあいにく雑誌に連載はないが、違う道で頑張ってる。
お前は、今ウェストか、サウスだったか?こっちはイーストブルーで頑張ってるぜ。いずれまたグランドラインで会おう。


Facebookを見るとフィード上に、その「GINZA」の連載を始めた友人からの嬉しいニュースが届く。

ついに本が、単著が出るという。

大学生の頃、小説家になりたいと言っていた彼がいた。彼の文章のビッグファンで、なれると思っていた私がいた。
だけれども、「小説家になる」。いくらググっても、前例がなさすぎて、どうなればいいののか誰にもわからない道だ。彼のアプローチだってぐちゃぐちゃで、再現性なんてない。
ただ、前向きに、未来の可能性を信じ、前進したものだけが掴める道だ。

カフェに入り、Facebookに「友人の本が出るよ」ということを書いた。タイピングしながら、ほとんど泣きかけていた。推薦のことばを読みながら、そうだそうだー!と頷く。あまりに良かったのでそのまま引用。

◇推薦のことば

すべての文章に当てはまるわけではないが、この人の文章はまさに、文は人なり、才気煥発、多動症的バイタリティーを存分に現していて、「ぜひ会いたい!」とも思うし、「会わなくてここにある文章でじゅうぶん」とも思う。
こういう高い能力を持った人は、世間では成功すると思われがちだが、その高さの質が世間と折り合わないために、「労多くして益少なし」というか、端からはわざわざ見返りが少ないことばかり選んでいるように映る。
私はこの人に似た人を二人知っている、一人はアルチュール・ランボーで、もう一人は樫村晴香という70年代からの私の友人だ。
二人とも浅い知り合いは、「もっとうまくやればいいのに(あいつにそれができないわけないんだから)…」と残念がるだろうが、よく知る友人は、これが彼の精一杯の社会との接触であり、彼にその気がなかったら自分は彼と交遊することがなかったと、年とともに感じるようになる。
凡庸な人には彼の能力も魅力も、アフリカの砂漠での後半生が見えず、ただ天才詩人としか思われず文学青年(死語)の崇拝の対象でしかない、そういう、ランボーのアフリカでの日々を思わせる、これはそういう文章で、私の気持ちを掻き立てずにはいない。
――保坂和志(小説家)

ここに収録された日記よりずっと以前の日付のものだっただろうか、阿久津隆は「ストラグルという言葉が好きだ」というようなことをたしか書いていた。ぼくは「ストラグル」という語感をすぐに気に入り、真似して使ってみようと考えたことを覚えている。彼の日記をだらだらと読み進めているとふとした語彙がとてもフレッシュにみえることがある。
去年秋にようやく映画『オデッセイ』を観て、続けてすぐに原作『火星の人』を読んだ。火星に一人取り残された植物学者マーク・ワトニーが生存の証拠として書き続けた日記。
火星にマーク・ワトニーがいて、そして初台に阿久津がいる。初台のマーク・ワトニーこと阿久津隆……よくわからないけどたぶんそんな感じ。二人がしばしば記す、いかに今日自分は疲労しているのかという描写が妙に楽しい。彼らのストラグル=悪あがきの記録を愉快に読めるというこの幸福。二人とも日々のあれこれにまるでこどもみたいに一喜一憂し、ぐったり疲れ、その一方で、日記を書く手を、仕事をする手を、本を読む手をなぜか止めない。
1ページ目の冒頭、つまり1日目の日記の、1行目。読み始めてすぐ、体からふわっと力が抜けた。これがもし映画のファーストカットならばぼくはきっと大興奮したか心底嫉妬しただろう。何気なく置かれたカメラが捉えたなんてことはない実景カットのような、でも、まさしくこの本「読書の日記」のファーストカットはこのカット以外にありえないだろうというような、すてきでとんでもない1行目。
――三宅唱(映画監督)

本の仕事をしているとよく聞かれることのひとつに、本をいつ、どのように読んでいるのですか?というのがあって、正面から答えようとすると説明がむずかしい。けれど、これからは本書を差し出すことでごまかしたい。ぼくのことはともかく、毎日このように読んでいる人がいますよ、と。
阿久津さんは、食べるように本を読む。仕事が忙しい人も、生活が落ち着かない人も、食事はする。ちょうどそんなふうに。人は、食べたものと読んだものとでできているのだ、という気がしてくる。
本書はまた、経営の日記でもある。経営の目的は、数字を稼ぐことではない。店主がいて、店としての理想があり、それに少しでも近づきながら続けていくことが、なにより最初にある。その思いを胸に、仕込みをして、店を開けて、客が来れば迎え、料理をして提供する。その先についてくるものとして、最後に数字がある。そのことの愉しみも苦しみも、すべて書かれている。だからきっと、お店をやっている人には勇気と共感とを与えるし、これからお店をやる人には、遠回りかもしれないがいつかうんと役に立つ。
それより何より、読んでいて、べらぼうに面白い。これは日記の形をした小説だ。阿久津さんと一緒に、今日も明日も、どんどん本が読みたくなる。こんな本が、かつて他にあっただろうか。
――内沼晋太郎(ブック・コーディネーター)

———————

あくる日、日曜日。SMSの友人で、Hip Hop仲間が仕掛けた「NURSE FES TOKYO 2018」というイベントに行った。

32786834_235459433672731_4299692146572656640_n

入り口で、スタッフの方と話すと、「ビジター」と書かれた入館証をもらい、一体どういうカテゴリーの人が「ビジター」に属するのだろうと思って少し楽しくなった。僕以外「一般」「関係者」「出展企業」以外見当たらなかった。

会場に入った瞬間わっと驚いた。
フェス、の文字通り、人・人・人で、おそらく数千人のナース・看護学生がいるようで、歩くこともままならなかった。出展企業も100近くもあるようだった。

これまでのイベントを主催者としてやりきることの過程を想像し、友人が誇らしくなって身震いした。

「夜勤が続いて生活リズムが崩れて睡眠ができなくなって、クマを隠したい」と化粧品出展企業のブースで相談する女性。

とある検査キットのブースでは、すっかり意気投合したナースに対して、企業側の方がよろしければ名刺交換させてもらえますか、と言う。展示会ではいつもの光景に思えた。
「私、現場なんで、名刺なんて持ってないんです!」

現場だと思う。現場にしかわからない現場のことばかりだと思う。
そして、現場の最前線の看護師が休日に、それでも行きたい、と思うイベントをやりきって、数千人も集めた友人のことをやはり「よくやった・・!」と思った。


見たかったセミナーで、登壇している皆さん専門分野を持ってて凄いなーと思いながら聞いていたのだけど、ファシリテーターのWyLの落合実さんが特に凄くて、彼は訪問看護の現場やってて×経営やってて×テクノロジー造詣深いとか、無敵か!と思う。話すことの重みが違いすぎる。
私の周りにも少数だけどそういう方がいて、その人にもよく無敵か!と思う。こういう人たちが時代を作るのだと思う。願わくば共に。

セミナーが終わると、友人が私を見つけたので、「大地君、来てくれてありがとう」と言った。ハイタッチをした。これだけは言おうと思っていたことを言った。「いい仕事をしたね!」
いくつかの会話を交わした気もするし、していないかもしれない。ただ、その言葉だけでその場は十分だと思った。

友人たちの挑戦にばかり刺激を受けている。

帰路、数年前のブログに書かれた言葉を思い出した。今でも全く気持ちは変わっていない。

「私は、いや私も、人の挑戦や前進をあげつらい、ゴシップだけが話題の醜い人々とは一緒にいたくもない。」

————————

その後、渋谷シネパレスが最後の夜だと言うので駆けつけて、「グレイテスト・ショーマン」を見た。満席でほとんど最後のチケットということだった。最後の日がしっかり満席で良かったと思った。

シネパレスは、大学時代友人がバイトしていて、何度かタダで入れてもらった。渋谷にはそんな映画館が3つくらいあった。
「モテキ」やら「横道世之介」をここで見た気もするし、シネクイントとごっちゃになっている気もする。実際そこまで思い入れが強い劇場ではないが、それでも映画館がなくなるのはいつだって寂しい。



「グレイテスト・ショーマン」は、いくつもの素晴らしい歌があり、その都度おいおい泣いた。

放火で劇場が燃えてしまった後、ザック・エフロン演じるフィリップ君が言う。

「僕は(君といたことで、)財産も失ったし、街中から届くパーティの招待状もすっかりこなくなった。
・・最後に残ったのは、友情、愛、そして誇れる仕事だ」

私もそんな風に生きていたいと思った。いくらかの大切な友人と愛と、誇れる仕事をしている私はとても幸せだと思った。

他人にそう言わせるバーナム君のリーダーシップは凄い。だけれども、誠実で、真面目で、大切な人をしっかり大切にできるフィリップ君のフォローワーシップだって同じくらい凄いと思った。

—————————

友人たちにばかり刺激を受ける。
いつだって周りの人に引き上げられている。

「どの魚群で泳ぐかだ。誰に引き上げてもらうかだ。」
シンガポールに遊びにきてくれたリクルート時代の先輩が発した言葉がすごく印象的だ。

—————————

そんな週末を過ごし、今夜はまだ日本にいたとき、よく集まっていた会社の友人たちと集まる会をやった。前回からは3年は経つのだろう。

ひとりは、その方は個人的にとても憧れている女性なのだが、仕事のかたわら、ジャズシンガーとしてライブを頑張っている。
ひとりは、3ヶ月前に結婚して、新たな生活を始めている。
ひとりは、3ヶ月前に転職をし、自分の知らない世界に飛び込んだ。
また残りのひとりは今週最終出社で新しいチャレンジをすると言う。盛大に祝おう。



僕らの営みなんて、それこそ悪あがきかもしれない。だけれども、道は違えど、それぞれが、よりよく生きようとストラグルしている友達がいる、だから自分ももう少し悪あがきをしてもいいんじゃないかと思う。
家に着いたら日付も変わっていた。今夜も少し酔った。





▼いま一番人気の記事
【随時更新】医療ヘルスケア業界でビジネスやる人へのおすすめ本15選

▼こちらもどうぞ
Newspicks専門家に選ばれました!医療・介護のリアルについてコメントしています。
『一生を賭ける仕事の見つけ方』を読み思うこと。
そもそも田中大地って誰?筆者の経歴とプロフィールはこちら
日記/使命と勇敢な決断、あるいは「ペンタゴン・ペーパーズ」について幾つかの覚え書き

5/5 (1)

良いと思ったら★をつけてください!

この記事をシェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Evernoteに保存Evernoteに保存

ブログの更新情報をフォローする

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。