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31歳になりました。今年のテーマは『STAY STRONG』でいきます。/ キャリアの「山登り型と川下り型」について

昨日、6月4日誕生日を迎え、31歳になりました。

アホみたいにただ頑張ってきた20代が終わって、30歳の誕生日を迎えた後に、上司に呼ばれて「シンガポールに行かないか」と、自分でも信じられない話をもらって、本能が「Yesと言え、チャンスは絶対に無駄にするな」と言って体を震わせたし、詳しい話も聞かず、その場で「行きます」と即答して、ここに来ることができました。

この半年間、自分の運と実力を信じ、ハードワークに、ダラダラとやることを良しとせず、事業と自分自身を高めることばっかり考えて、実行してきました。

その結果、日本にいてはまず身につかなかったであろう視野の広さを得たし、自分の今後の努力次第ではアジアで通用するな、という自信めいたものも少しは感じることもできました。
一方で言語を含めた世界で戦っていくことの難しさも知ったし、自分の思った通りにいかないジレンマとストレスに潰れそうにもなりました。

30歳という人生の節目でこのような経験ができたことを、本当にこれまで出会ってきた皆さまへの感謝と、自身の頑張りを誉めたいと思います。

STAY STRONG

さて31歳、今年のテーマは「STAY STRONG」で行きたいと思います。

『STAY STRONG』
BOMBRUSH! feat. NORIKIYO, SHINGO★西成 & DAG FORCE

Whatever 時代がブレてウソが溢れて
周りが不安にのまれても Stay strong
Whenever 期待はずれて 皆うらぶれて
周りは立ち止まっててても Stay strong

もうHIP HOP好きでは知らない人は少ないと思いますが、ここ最近の僕の応援歌です。まじSHINGO★西成かっこいい。

まず朝一通勤しながらiPod爆音でこの曲聞いて高く拳上げて「Sky 拳 UP」「できる、できる、俺らならできる」、と言い聞かせてオフィス向かってますからね。周りから見たら完全ヤバいやつです。相変わらずHIP HOPには随分と救われています。

今年もこの曲の通り、周りの状況に関わらず、自分の運と実力をただただ信じて、強く生きていこうと思います。

キャリア形成の「山登り型」と「川下り型」

『STAY STRONG』の冒頭で、NORIKIYOのいう、
「手え伸ばせって 遠くじゃねえよ」「先の先より今 ジョークじゃねえよ」
この言葉、いまの僕にがつっと刺さってるんですね。

リクルート時代、ある研修で、「山登り型」と「川下り型」という2つのキャリア形成のあり方を知りました。
簡単に言うと、長期のキャリアゴールを設定してそこに到達するために一歩一歩進んでいくのが「山登り型」で、とにかく目の前の仕事と状況に集中してがむしゃらにやっていく「川下り型」の2つです。

その研修の打ち上げで、尊敬する方たちが集まる中、僕はいろんな人にこの話をぶつけました。「僕はこうなのですが、あなたはどちらですか」と。

驚くべきことにほぼ全員の方が「川下り型」だと答えたのです。
誰もが示し合わせたように、1年先のことはわからないから、いま目の前にあることを全力でやるんだ、と答えました。

しかし、その当時の僕は山登り型こそ正しい生き方だと決め込んでいました。
さらに、僕はこうあるべきだ、このために生まれてきたんだというものが強くあったので、みんなが「川下り型」だと答えたときに僕とは違うと思いました。
その場で、自分の信じた道に進むということを決意しました、とみんなに報告をしました。

進んだ道の先では、想像以上に色々あったため、結果として自分の想定していたものとは違う事業をやることになりました。自分で事業をゼロから作る楽しさを知ったし、数字がなかなかついてこないことに悩んだり、仲間だと思っていた人に見放されたりと、その難しさも知りました。
ただそれも全部ぐるっと踏まえて、ああ僕はこうして事業を作っていくことが大好きなのだ、と気づいたわけです。

それと同時に山登り型で目標を定めて登ってきたはずの僕の山は消えました。
深い霧の向こうにあると思っていたはずの山は、霧が晴れた途端にそこになかったことを知ったのです。
その代わりに、飲み込まれたら一瞬で死ぬだろう爆流といかだがそこにありました。今から丁度2年くらい前のことです。

そのとき、ようやく、あの飲み会にいたほぼ全員の方が「川下り型」と答えたことに合点がいったのです。

ハーゲンダッツ

誕生日ナイトは豪華ハーゲンダッツ食べました。うまかった・・・

いま、僕はまさに「川下り」をしながら生きていると思います。なんせ海外で住んで働くことなんて、僕のかつての未来予想図には一切なかったわけです。

それが一度出てしまうとおかしいもので、今ではたった2、3年後、自分がどこに住んでいるのかすらわかりません。
何か理由があってそう言っているのではなく、本当に想像がつかないのです。半年後くらいまでは想像つくのですが・・・。

ただこんな生き方を是として、35歳くらいまでは目の前の爆流を下っていきたいと思います、それも高速船でかっ飛ばします。

それと同時に、今年も家族や大切な友人、仲間、ひとつひとつの出会いと自分自身を大切に、ただただ強く生きていきたいと思います。
今後ともこんな僕ですが、どうぞよろしくお願いします。

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