will-can-mustへの違和感
いきなりぶっちゃけるが、will-can-mustというフレームワークにずっと違和感があった。
新卒でリクルートに入ったので、なんならこのフレームワーク作った会社(真相は知らない)で、ずっとwill-can-mustを追求するカルチャーで育った。
「大地はなにがしたいの?」と問われ続け、僕のwillはなんだろうともがき続け、たどり着いた結果はリクルートでやりたいことなんてできないとなり転職したくらい僕の人生に影響を与えた考え方だ。
でも今回は、よく言われるwillの話ではなく、mustの話である。
転職して、自分がマネジャーを務めることになったり、スタートアップ経営もするようになったわけだが、その間自分のメンバーと1on1をするときにこのフレームに言及することも多かった。そして、その度に思うことがあった。
mustって傲慢じゃね?と(全リクルートの方々申し訳ないmm)
willとcanはとてもメンバー主体の言葉だ。
自分が主人公の人生にとって、やりたいことを追求したり、できることを増やすことはとてもポジティブだ。
しかし、突然のmustである。
御存知の通りmustとは、義務・やらねばならないことという意味だ。
正直、いきなり会社のmustだしてくんなやと思うし、言う度に「ごめんね、ごめんね」と思ってきた。
僕自身、mustとか言われても全然気持ちがドライブしない。
いや当然やるべきことはやるし、それで動けてしまう自分がいることは自己認識しているのだけれど、でも気持ちは全然上がらない。
僕ですら上がらないのだから、現代の若者はもっと上がらないんだろうな〜と思いながらこの言葉を使っていた。言葉を発する度に居心地の悪さを感じていた。
義務ではなく、いま最も重要なこと
そんなことをうねうね考えてるうちに10数年が経った。そして突然答えが出た。小さな違和感を持ち続けたかいがあった。
mustって、もしかして「義務」ではなくて、「今会社にとって最も重要なこと」という意味合いなんではないか、と。
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閑話休題。
僕自身もそうだが、企業に所属する人のほとんど多くは自社の成功を願っているはずだ。
自分の会社なんて失敗してしまえ、と思う人は少ないと思う(ブラック企業だとそういう人もいるのだろうが)、少なくとも僕は、自分の所属する/してきた組織に誇りを持ってきたし、せっかく自分の貴重な時間を使うのであれば、成功してほしい/成功させたいと願う。
ライフミッションの実現でも、お金が欲しいでも、楽しくやりたいでも、モテたいでも、個人の動機はなんでもいい。
でも、何が動機であろうとも、会社が成功したほうが叶えやすいし、一度倒産経験がある身からすると、会社が倒産すると、そこの社員はまじで不幸になる。二度と経験したくないトラウマレベルだ。
自社の成功は、個人の成功への近道なのである。
だから、ここでは、所属する個人は自社に成功してほしいという前提に立つ。
その前提において難しいことが、個人の得られる情報が限られる状況において「何をすれば会社は成功するかわからない」というシチュエーションが頻発することだ。(その状況が悪い方向に転ぶと「経営陣はわかってない」と飲み屋の愚痴になるわけだが)
ここで情報のオープン性を議論する気はない。
「一九八四年」を読むと誰もが気づくように、「すべての情報をオープンにすること」は、組織のスケーラビリティを担保しない。
幸せになるために、働く
「働く」とは、人を動かすと書く。
つまりはアウトプットだ。
インプットだけで幸せになれる人はおそらくあまりいない。
インプットすればするほど、自分の学んだこと、考えたことを後世に伝えたいと思うようになる。
働くことがしんどいと思う人はきっと多いが、それはあなたがたまたまやってきた仕事がしんどかっただけで、「働く」という元来の意味を捉えてみれば、働くことは幸せになるためのひとつの手段だ。(みたいなことを最近友達と飲みながら話していてEUREKA!となった)
そして、多くの人の生涯で最も多くの時間を使う仕事において、自分の能力が活かせるのはとても幸せなことだ。
自分の能力を尽くした結果、会社の成功に繋がったとしたら、おそらくその人の人生にとって最も幸せな体験のひとつになるのだろう、と思う。
しかし、上記で書いたように、多くのメンバーは何をしたら会社が成功するかわからない。
だから、will-can-mustにおけるmustの部分、これを「あなたにやってもらうことが会社の成功に一番近づこと」を伝えるエリアにしてみたらどうだろう
mustではなくprimary
そんなことを考えてみると、実はmustという言葉ではなく、primaryという言葉がとてもしっくりきた。
primaryとは「最も重要な」という意味だ。
「いまあなたがこれをやってもらえることが会社の成功にとって最も重要なんだ。だから力を貸して欲しい。」
そう言われて嫌な人はおそらくあまりいない。むしろ、そう言われて自分の貴重な人生の時間を使うことはとても幸せなことな状態だと思う。
この3つが重なった真ん中の部分は、
あなたがやりたいことで、
あながの得意なことで、
会社の成功にとって最も重要なことだ。
いいんじゃない。
これから、will-can-primaryと言い換えてみようかな。
古巣のリクルートの皆様、どうですか?
最も重要なことを決めるのが経営者でありマネジャーの最も重要な仕事だ
最後に、will-can-primaryは組織の経営者やマネジャーにとってはとても酷な話だ。
なぜなら、会社の成功にとってのprimary=最も重要なことを決めることは何よりも難しいからだ。
経営をしている人は誰もが経験したことがあるように、気づいたら優先順位1番の仕事が100個くらい目の前に並んでいる。
社内メンバー、社外のステークホルダー、経営者の先輩、ありとあらゆるビジネス書が、最も重要なことはxxxだ、と言う。
そして、xxxに入る内容は全員違うのだ。話を聞けば聞くほど、本を読めば読むほど混乱する。
採用、資金調達、PMF、ユニットエコノミクスの成立、ブランディング、マネジャーの育成、MVV、カルチャーの浸透、メンバーの心理的安全性、burning needsの発見、練り込まれた事業計画、現場の解像度を上げ続けること、シャープな意思決定…
「結論を教えてくれ!いったい我が社にとって一番大事なことはなんなんだ!」
と言いたくなる日々ばかり過ごしている。
これこそが経営者の苦悩である。
おそらく、お気づきだろう。
最も重要なことを決めることこそ、経営者の仕事である。最も重要なことは、組織やフェーズによって全く違うし、状況の違う人が言う最も重要なことは、自社にとっては最も重要なことである可能性を低い。
「いまの我々にとって最も重要なことを考えること」、それこそが経営者のほとんど唯一、最も重要な仕事であるのだから。
▼参考書籍